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紙本着色佐々木次郎太夫伊信肖像并伝(近藤富蔵筆)

種別都指定 有形文化財(歴史資料)
所在区市町村青ヶ島村
指定年月日昭和49年8月1日
昭和51年7月1日 郷土資料から有形民俗文化財に条例改正
昭和56年3月12日 種別変更
員数1面
所有者個人
(青ヶ島村教育委員会)
時代/年代近世/江戸時代・安政4年(1857)
解説文 青ヶ島は天明5年(1785)に大噴火を起こし、生き残った全島民が八丈島に避難して無人島となっています。以後50年の歳月を費やし、幾多の苦難を乗り越えて還住を成功させたのが佐々木次郎太夫です。
 次郎太夫は明和4年(1767)に青ヶ島で生まれました。八丈島避難後の文化14年(1817)に、50歳で青ヶ島の名主となります。周到な準備と長年の努力により、文政7年(1824)に全島民の還住を成功させました。さらに天保6年(1835)には、年貢を納めることが出来る程の復興を遂げました。公費補助に頼らず島を再開発した功績により、一代限りの苗字を許されます。嘉永5年(1852)、86歳で没します。
 彼の業績を記した本資料は、安政4年(1857)の作です。鳥の子紙で、竪85.7cm、横48.5cm。上部に近藤富蔵文、相沢匡倫書の次郎太夫伝を27行に書いています。下部には近藤富蔵筆の彩色画像を配しています。黒い衣服に裃(かみしも)をつけ向かって斜左向に坐し、白髪を丁髷に結ぶ中老の容貌。左手は五指を延ばし左膝上に、右手は右腿上で半開きの白扇を持ちます。製作以来、青ヶ島名主宅にあったと思われます。天明の噴火により無人島となった青ヶ島の、還住と再開発を完遂した名主の肖像及び伝記として重要です。
所在地青ケ島村休戸郷 青ケ島村役場
アクセス八丈島空港から東邦空港ヘリコプターで20分
八丈島底土港から船(あおがしま丸)で3時間
公開情報【公開日】通年
【公開時間】14:30~17:15
【料金】なし
注意事項宿の予約をしてからお越しください。
事前予約が必要です。青ヶ島村教育委員会(04996-9-0201)までお電話ください。
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都指定有形文化財(歴史資料) 紙本着色佐々木次郎太夫伊信肖像并伝(近藤富蔵筆)

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