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英一蝶墓

種別都指定 旧跡
所在区市町村港区
指定年月日昭和13年2月5日 標識
昭和27年4月1日 史跡指定
昭和30年3月28日 旧跡指定
所有者宗教法人 承教寺
解説文 英一蝶(本姓は藤原、諱を安雄という)は、承応元年(1652)京都に生まれ、その後江戸に下り、将軍御用絵師の狩野安信に入門しました。当時は多賀朝湖という雅号で狩野派風の絵を描く傍ら、俳諧師としても活躍し松尾芭蕉やその高弟榎本其角らと親交を深めました。
 しかし、元禄11 年(1698)に、罪状は諸説ありますが三宅島に流刑となります。島では、島民や江戸の顧客を相手に画を描くなどし、生計を立てていました。宝永6年(1709)、5代将軍綱吉の死去に伴う将軍代替わりの大赦で江戸に戻ると、中国の古典『荘子』の故事「胡蝶の夢」にちなみ、雅号を英一蝶と名乗り、号を北窓翁と改めました。以降は、江戸市中の日常などを描く、風俗画家として名を上げています。享保9年(1724)正月13 日に没しました。
 英一蝶は、元々承教寺の塔頭、顕乗院に埋葬されましたが、顕乗院の廃院により承教寺に改葬され、さらに明治45 年(1912)、旧本山であった池上本門寺に移転されています。
 承教寺にある英一蝶墓は、安政江戸の大地震(安政2年10 月2日)で破損した墓標を、六世孫の英一蜻が明治6年(1873)に復刻したものです。柱石正面には「北窓翁一蝶墳」、左側面は大きく削った平坦面に、辞世の句とされる「まきらはす/ うきよの業の/ 色とりも/ ありとや月の/ うす墨の空 英一蝶書」、右側面には英一蝶の没年「享保九年甲辰正月十三日」が刻まれています。また、柱石背面には、本碑再建の経緯が漢文で印刻されています。
所在地港区高輪2-8-2 承教寺内
アクセス東京メトロ南北線/都営地下鉄三田線「白金高輪」駅下車徒歩約10分
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都指定旧跡 英一蝶墓

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